・:*:・ 片恋 ・:*:・ 【 日々雑感 】
遠い昔の話である。
その人は、
わたしを自宅に招きレコードを聴かせてくれた。
そして、影のさし始めた林を散歩した。
わたしにしてみると、友人の音楽仲間、というだけの存在だった。
けれどその人は、特別な思いを込めて散歩に誘ってくれたのだろう。
いつもは寡黙なのに、哲学のような聞きなれない言葉を並べて、
自らの心境を語ってくれた。誠実なその人を理解することも受け入れることもできずに、
静かな時間は思い出になった。
どれほどの時間が過ぎた頃だったろう。
偶然に街で出会った。
その人は向こう側で、やさしいやさしい笑顔でわたしを見ていた。
思わず微笑み返したその瞬間、子どもを抱えた女性が寄り添うのに気づいた。
わたしは微笑んだまま会釈をし、自分を急かすように歩き出した。
その人が幸せな暮らしを営んでいるのだと、
喜ばしい気持ちをその時から持ち続け、
また数え切れないほどの時間が過ぎた。
思いがけず、その人からハガキが届いた。
その人の好きな曲を録音したCDが届いた。
年賀や暑中見舞いのハガキもときどき届く。
何ということもない文面は、その人らしく哲学めいて、
いつもわたしの理解から遠いところにある。
わたしは、起業以来出会った方々のなかで、
尊敬する方、またお会いしたい方、
教えを請いたい方などへ便りを送っている。
ときには「お健やかに」、ときには「お会いしたいのですが」と
書き添えることもある。
ほとんど返信は来ない。
当然と思う。
お会いできた喜びを伝えられるだけで良いのだから。
こちらからの一方的な便りで、返事を期待しているわけではないのだから。
想われるより想うほうが幸せ。
少女のころにどこかで耳にした言葉が、今も深く残っている。
そう信じて生きてきたのだから。
それなのに、この頃は返事のこない便りを書いていると、ふと思う。
それでもこの人からだけは言葉がほしい、返事が聞きたい。
想うのだから、ほんの少しでも想われたい。
こちらの想いが、
たとえ生き方への敬意であろうと成功への願いであろうと、
仕事そのものであったとしても。
久しぶりの残暑見舞いが届いた。
わたしの宛名を書きながら、その人は幸せだったろうか。
わたしは、返礼を書こうか思いあぐねているうちに、
いつも機を逸してしまっているというのに。
夕暮れが早くなったこの頃、そんなことを考えている。 E.I記